将棋の館−盤上のドラマ−/語り継ぐために・・・/史上最年少名人誕生!
1982年(昭和57年)、史上初の”10番勝負”を制し、加藤新名人が誕生した。だが、この死闘で燃え尽きたか、 名人獲得後の加藤の成績はパッとしなかった。 ”誰が挑戦者になっても名人防衛は苦しいだろう。ただ一人、谷川をのぞいては・・・” これがA級開幕前の下馬評だった。まだ若い、新八段の谷川が相手のときのみ、防衛の可能性があると言われていた。 新八段の谷川は、順位戦で快調に突っ走った。七勝二敗の成績は、中原十段とのプレーオフも制し、ついに挑戦者に! 加藤の不調も手伝って、七番勝負も三連勝!加藤が二番返した後の第六局も、いよいよ大詰め! ▲75銀△55玉▲66金△54玉▲44金まで、谷川勝ち 図の局面で谷川は、ため息をもらしハンカチを口にあて嘔吐をこらえるような、苦悶の表情を浮かべたという。 おそらくその時、▲75銀を発見したのだろう。谷川の所作は名人位の重さだろうか・・・ 昭和58年6月15日、21歳2ヶ月の史上最年少名人誕生!将棋界は新時代をむかえることとなった。 それは同時に、谷川浩司の栄光と試練の始まりでもあった・・・”夢の七冠達成!” 第45期王将戦7番勝負第4局 谷川VS羽生