将棋の館−盤上のドラマ−/栄冠は光の彼方に!−燃えろ谷川!−/切なる想い、届け神戸へ!
昭和63年度のNHK杯戦。将棋界に新しいスターが誕生した。
”彼”は現役名人・歴代名人を全て破って優勝!まだ18歳だった。
翌平成元年度の第2期竜王戦では、島を降し19歳で棋界最高位を手に入れた。
−怪物−その名を羽生善治と言う。
両雄初めてのタイトル戦−平成二年(1990年)の竜王戦−は谷川が貫禄を示した。
だが、竜王位失冠を成長の糧とした羽生は、2年後さらにパワーアップして谷川の前に立ちはだかる。
年度始めの第2戦から22連勝!秋には福崎を降して王座を獲得。棋王・王座の2冠をひっさげて
谷川の持つ竜王位に挑んできたのだ。
シリーズ序盤は谷川の”光速の寄せ”が炸裂。1・2局を連勝しタイトル防衛は堅いかと思われたが、
第3局以降、”羽生マジック”が本領を発揮。得意の終盤で谷川が失速するシーンを見せつけられるなど
誰が想像できただろう。
連勝のあとの3連敗。カド番に追い込まれた谷川だが、第6局ではまたも”光速の寄せ”を披露。銀取り
にかまわず、△69馬と羽生陣に突っ込み、自陣の金銀を取られる間に一気に羽生を寄せきった。
3−3。
この最終局の持つ意味はとてつもなく大きい。勝った方が、今後の将棋界の主役となるのだ。
あくまでも自分の棋風に忠実に−後手番ながら強気に羽生を迎え撃つ谷川。
”あんなに駒を渡して、大丈夫なのか?”−控え室の危惧をよそに、谷川はギリギリで自玉の不詰みを読み
切っていた。
”さすがは谷川!”
だが、運命の一手はこの数手後に着手される。
羽生の自陣角に対し、いったん飛車の王手を利かせたあと、羽生の角利きを遮断する△54桂。一見攻防
手に見えるこの手が大悪手。
羽生に▲35桂を利かされたあとに▲67角と一つ引かれ、何とこれで自陣に受けが全くない!
たった1枚の歩でいい。1歩さえあれば、△34歩で敵の角をさえぎることなど造作もない。
だがその1歩がない!▲67角の利きを止める手段がなにもないのだ!
この後、8手で谷川投了。最後の一手を指すときの、羽生の指先が震えていたと伝えられている。
この1番の結果は大きかった。この後の羽生は快進撃。
その羽生の強烈なパンチを次々に浴び、谷川はマットに沈んだ。
タイトル戦で相まみえること8回、しかし谷川が勝ったのは初対決の竜王戦のみ。屈辱の7連敗。
そして・・・
1995年1月、六冠王羽生は王将戦7番勝負に登場!
空前絶後の七冠制覇を目指し、谷川が持つ最後の砦・王将位に挑む!
史上最年少名人誕生以来、常に谷川はファンの後押しを受けて戦ってきた。
だが、”夢の七冠”を望む世論は谷川につれなかった。そして、マスコミは戦う二人に、決して平等では
なかった。
彼はこの時初めてその棋士人生で、逆風を受けて戦ったのだ。
四面楚歌の中で始まったシリーズは、まず谷川が羽生のひねり飛車を破り先勝。
そして第2局・・・いや、その前にどうしてもふれておかねばならない事実がある。
”平成7年1月17日5時46分、この時刻を私は一生忘れないだろう。”(谷川浩司全集平成6年度版より)
悪夢のような阪神大震災。
多くの人達から住む場所や愛する人を奪ったこの震災の被害は、将棋界にも無縁ではなかった。
明日の名人を夢見た、若き奨励会員が一人、命を落とした。
谷川の実家は全壊。自身もわずか1日とは言え、おにぎり1個の配給という生活を味わった。
20日は米長との順位戦。
震災後、米長から電話があった。
”今回は大変な目に遭った。次の対局は、あなたの都合のよいようにして構わない。”
しかし、谷川は答えた。
”指します。”
19日、夫人の運転する車で大阪の関西将棋会館へ出発。だが通れる道が少ないうえに、車が全く
動かない。
大阪のホテルにたどりついたのは、11時間後のことだったそうだ・・・
翌20日、将棋盤を前に、谷川は将棋を指せる喜びにひたっていたという。
後手谷川は角換り棒銀に変化し作戦勝ちし、そのまま勝ち切った。
つい数日前に”死地”をくぐりぬけてきたばかりだというのに、何という強さだろう!
(この時期、谷川さんは震災後1月いっぱいはホテル住まい、2月からは夫人の実家で生活していた
そうです。)
第2局。
対局場に来てはみたものの、第2局は延期−羽生の心のどこかにこのような思いがあったのだろう、
谷川の姿を見て言葉を失うほど驚き、思わず見舞いの言葉さえかけそこなってしまったという。
もはや羽生の七冠など許す訳にはいかぬ!
この戦いはすでに谷川一人のものではなくなったのだ。家を失い、家族を失った神戸市民の声なき声
が谷川の背中を押している。
そして彼には聞こえたはずだ!彼らの声なき声が!
このシリーズ、絶対負けるわけにはいかない!
谷川の必死の気合か、また、羽生にも疲労があったか、この第2局は羽生に見落としがあり、谷川に
”次の一手”のような好手を指され79手で決着がついた。
しかし相手は”怪物”羽生善治である。
第3局・第4局、底力を出した羽生は連勝。2−2に追いついた。
ここからは一進一退のシーソーゲーム。
第5局を谷川が攻めまくって快勝すれば、第6局、苦しい終盤で羽生が放った勝負手△24香!
意表の一撃に谷川は動揺し、指し手が乱れる。
終わってみれば、羽生の大逆転勝ちでついに3−3。
熱狂のシリーズはついに最高潮で、クライマックスを迎えようとしていた。
いよいよ泣いても笑っても最終局を残すだけ。
運命の第7局は3月23.24日、青森県奥入瀬で行われ、マスコミ50社、150人が殺到した。
かつてこんなに注目を浴びた一戦があっただろうか。
振駒の結果、先手は羽生。
第2局以降、判で押したように37銀型の矢倉戦。まるで二人でこの戦型を極めようとしているかの
ように・・・
しかし、二日目の午後3時、千日手となった。
(将棋とは無関係のマスコミもいたようで、”千日手”ときいても意味がわかっていない連中もいたら
しい。
しかし、取材にくる以上、勉強してから来るのが当たり前の態度ではないのか!)
指し直し局は、先後を入れ替え谷川の先手で始まったが、これも相矢倉。
さらに驚くなかれ、途中まで千日手局と同一。つまり相手の立場で戦っているのである。
先攻する谷川に対し、羽生が”と金”を作って反撃。
しかし、その”と金”を谷川が▲57銀と払い、△同竜に▲67金引と先手を取った手順が見事。
また、何と言っても持ち時間の差が大きかった。さしもの羽生マジックも不発に終わった・・・
勝った!持てる力の全てを出し尽くし、死力を尽くして谷川は勝った。
勝つしか意味のない戦いに、彼は勝ったのだ!
何と素晴らしい男だろう。
彼のファンで良かった。彼のファンであることを、僕はこの時、心から誇りに思った・・・
しかし・・・
神はどこまでも彼に試練を与えなさる。
翌年の挑戦者は羽生善治。それも前年同様六冠を引っさげて!
※羽生善治との死闘はここ
※羽生マジック炸裂ここ
王道制覇試練、再び(まだ準備中です)m(__)m