”芹沢博文”−今の若い方はこの名を知らないだろうか。
高柳一門の長兄であり、中原永世十段の兄弟子である彼は、”天才”であり”無頼漢”であった。
あまりに鋭すぎ、自分で自分を見切ってしまった。
”ああ、俺は名人にはなれない”
その後の彼は、何を目標として指しつづけていたのだろうか。
そんな彼と谷川さんとの戦いを鮮明に記憶している。デビュー以来谷川さんの将棋を、
芹沢さんは高く評価してた。
彼らの最初で最後の対決は、昭和56年B級1組順位戦だった。当時芹沢さんは”アイアイゲー
ム”などのTV番組に出演し”チョメチョメ八段”などと呼ばれ、半分は芸能人化していた。
しかし、自分が目をかけていた谷川さんとの対局が近づくと、”どれだけ強くなったか、
俺が試してやる。”と豪語。
酒も断ち、約束もキャンセルし谷川さんとの対局に備え、そして言葉通りの快勝。
自戦記も谷川さんへの愛情に満ちたものだった。
”みな谷川のこの手が悪いという。ではどう指すかと問うと、皆黙って口を開かぬ。・・・
(中略)この時期の1敗は痛いだろうに、じーとしている。勝つことにこれほどの罪悪感
を覚えたのは初めてだ。・・・”
名勝負であり、名文であった。
そして谷川さんはこの痛恨の1敗を乗り越え、A級入りを果たす。
その後の活躍は、皆さんご存知の通り。それは芹沢さんの予期した通りだったろうか。